教育の機会均等ということが言われていますが、本当にすべての国民に対して教育の機会は均等に与えられているでしょうか。保護者の経済力の違いで子ども一人ひとりの学習環境には様々なものがあります。思うように学習教材を買い与えられない家庭も、やむを得ずアルバイトをしなければやっていけない高校生もいます。
大学に進学するにしても奨学金を借りる必要があったり、学校の成績が基準に達していなかったら無利子の奨学金は受けられなかったり、家庭の経済状況の差は子どもたちの生涯に大きな影を投げかけます。
教育の機会均等を!
教育の機会均等ということが憲法を始めいろんな法律の中に高らかにうたわれています。その精神の実現のために奨学金制度が作られました。しかし、現実問題として高校の現場で高校生を見たときこの高邁なうたい文句が本当に実現されているのか多くの疑問がわきます。
最初の問題として考えられるのが保護者の方たちの経済状況です。一概には言えないかもしれませんが、経済的にゆとりのある家庭の方が子どもたちの学習環境は整いやすく良い成績につながりやすいと言えるでしょう。
私の経験ですが、ある生徒が授業中ノートを出さないのです。ノートはどうしたのと聞くと買うのを忘れたといいます。そのやり取りが3回ほど続いた後、安易ですが私は手持ちの使ってないノートをその生徒に与えました。
特定の生徒だけにモノを与えるということは良くないことだと重々認識していましたので、このノートはもう使わないもので君が使ったらノートも役目を果たすからとかなんとか周りの生徒の目を気にして切り抜けました。その生徒にノート一冊買えない経済状況があったかどうかはわかりません。でも、何回かの受け答えの中で何らかの事情は感じたものでした。
教室における一斉授業では、授業内容のメモとしてノートは必要なものです。もしその生徒がノートのない授業時間を5回も過ごしたら内容は生徒の頭には残らず、分からない時間ということになって行くのは目に見えています。
おそらく、学習習慣の身についた「勉強のできる」高校生にとっては考えられないことなのでしょうが、こういう現実はいたるところで見ることができます。
家庭の経済状況は子どもに影を落とす
家庭の経済事情は高校生の学力に反映し易いものです。これは高校生だけに限ったことではなくその子どもが生まれたときから育っていく過程全般に渡って連綿と影を落とし続けます。生活に必要な経費でほとんどの収入が消えていく家庭状況であったとしたら義務教育の期間であっても次のような事は十分考えられます。
- 学校以外の習い事をさせたいがその余裕がない
- 授業の役に立つ副教材を買ってやれない
- 家庭学習のための環境を確保してやれない
などなど、できないことを数え上げればキリがありません。このように、保護者の方たちの経済状況の違いだけでも子どもたちの教育の機会均等は十分に妨げられることになります。
さらに高校生になれば、家庭事情に応じて自分のことは自分でまかなう必要が生じてアルバイトをすることにもなります。勉強ができて、家庭の経済事情も良くてという高校生が社会勉強のために日常的にアルバイトをするということはまずありません。
家庭事情が苦しく、それゆえに勉強が苦手という不利な状況を持った生徒がアルバイトをせざるを得なくなるのです。
厳しい奨学金の返済
さて、最近のデータでは大学・短大への進学率は国内では約60%弱と言われています。更に専門学校・専修学校をふくめると高校卒業者の80%以上が何らかの形で進学していることになります。この中で四年制大学に四年間通った場合入学金と授業料で約250万円かかります。
そこで、教育の機会均等を裏付けるものとして存在するのが奨学金なのです。しかしその大部分は給付型ではなく貸与型のものです。しかも、無利子と有利子の二種類ありますが無利子の奨学金には成績が一定以上でないと申し込みできないという決まりがあります。成績は良くないが、大学等へ進学して学びたいと思ってもその道はかなり厳しいものだと言えます。
こうして大学を卒業したら、たとえ就職が希望通りに行かなくとも奨学金の返済は始まります。借金返済を抱えた門出になるわけです。大学を卒業した時点での社会情勢のよくわからない昨今、奨学金を借りようとする高校生を前にして「返済は大丈夫かな?」と係の教員は複雑な思いを抱くのです。
今回のまとめ
- 憲法・教育基本法第3条教育の機会均等
- 家庭の経済事情により子どもの学習環境は様々
- 教育の機会均等を裏付けるための奨学金制度
- 高校の成績が一定水準以下だと無利子奨学金は受けられない
- 大学卒業後奨学金の返済が始まる
以前何かの資料で東大生のお子さんのいらっしゃる家庭の平均年収を一般的な家庭の平均年収と比べたデータを目にしたことがありました。東大生のお子さんのいらっしゃる家庭のほうが明らかに年収は多かったという記憶があります。やっぱりそういうことなのかなと納得したのを思い出します。